短編映画コンクール

今年は全国から105作品の応募がありました。まことにありがとうございます。
8/19に特別審査員の工藤雅典監督、冨永憲治監督、椿原久平監督、鈴木元監督の4名により入選作品10作品を選出いたしました。伊藤俊也審査委員長による厳選なる審査の結果、以下の通りグランプリ、準グランプリ、入賞作品が決定しました。(敬称略)

表彰式より



作品名 監督名 時 間 出身地
グランプリ
ホームラン 清水俊平 15’00 神奈川県
【審査委員長 品評】
運転席には、元やくざの田原(彼の寝たばこが原因で事務所が焼け、親分に馘首された。今はクリーニング屋をやっているという)、後ろの席にはその親分の倅耕平(美大を受けて映画をやりたいが、親分の反対で窮しているという)がいて、耕平が田原に自分を誘拐して親父から、5千万円引き出してくれと云うところから、映画は始まる。すっとぼけた話だが、この二人のキャラが実にピッタリで、特に田原が茫洋として定まりなく、どうにも冴えない話になりそうだが、いや待てよ、とてつもないハードボイルドが用意されているのじゃなかろうか、と妙に期待感を持たせもする。親分に電話する予行演習で、田原に演技指導をする耕平が顔のパーツを真ん中に集めるようにして、などと気の利いたことも云う。結局、「もしもし・・・」の声を聞いて、相手は「田原か」と勘のいいところを見せ、先ずは頓挫。さて、車は郊外へと走り出したが、さてその行く先は? ここで、田原が少し本気の声音で、だから誘拐するって云ったじゃん、と云うのだが、実は長い間ご無沙汰している父親に、耕平を息子に仕立てて、うだつの上がらなかった己の半生を一気に挽回してみせようとの魂胆。実家だというアパートの一室を訪ねると、留守でドアも開かない。待っていると、ヘルパーらしき女に付き添われて帰ってきた父親は、もはや息子を認知できなくなっている。ただ、野球好きだった名残はあって、息子である田原の体に触り、あんた野球が上手そうだなあという。次が一気にバッティングセンターでバットを振る田原の姿を映し出すが、これが秀逸。田原の背負っている人生そのものを一球一球にぶつける感がして、圧巻とさえ云える。また、つくねんと待っている耕平の姿も過不足なく捉えている。彼はその間、おのれの行く先をどう幻視したであろうか。結局、彼らは都心部へと戻って行くしかないのだが、ホームランという意味深なタイトルが哀感と共に思い出されるのである。
準グランプリ
キミの夏、聞いたよ イナガキマサヒロ 7’30 福島県いわき市
【審査委員長 品評】
まさに短編たるに相応しい何かがある。あえて、妙とは言わない。短編の妙とは、短いながらも見事な起承転結に裏打ちされた芸である。この作品にそこまでの芸はない。だが、何気ない日常の繰り返しの中に、一瞬の永遠性を虚構しえた技は、特筆すべきものだ。もう少し、具体的に語ろう。ヒロインの高校生は同じクラスの球児田中にほのかな思いを寄せている。通学時、田園の道に自転車を走らす彼女は必ず練習のために走っている田中を見かけるし、すれ違いもする。いよいよ、甲子園出場をかけての地方予選準々決勝戦。その実況を教室で密かにヒロインが聞いている。ピッチャーの田中は同点の最終回裏、相手の満塁に押し出しの四球を与えて負けてしまう。翌日、教室には現れない田中。帰り道、相変わらず走っている田中を見つけて、追いかけるヒロイン。ちょうど、無人踏切の警報器が鳴って、立ち止っている田中に追いついた。そこで、昨日も試合中被っていた田中の野球帽を貸してといって、裏側に書かれていた甲子園の文字を読み上げたり、返せというのを自分が被ってみせて逃げ回ったりちょっぴりふざけた挙句、降りていた遮断機の先端に野球帽を被せてしまう。と、同時に遮断機は上がり、もはや野球帽は頭上遥かな地点に。 次の電車が来るまで一時間もあるんだぞ、と田中はおかんむり。その間、私も待ってあげるわとヒロイン。さて、この一時間、どうなると思いきや、風のいたずらはあっさりと帽子を振り落してしまう。ヒロインが帽子を拾って田中に返すと、被りながら「バーカ」と云って走り去るのだ。その後のヒロインの表情が何ともいい。いまだ片想いの先には進まなかった現在を確認するというのか。ため息交じりに、しかし、なお真っ直ぐを見つめて、ペダルを踏みだすヒロイン。風のいたずらが二人だけの時間を短く終わらせ、「バーカ」の領域を超えさせなかったとしたら。いや、ふと田中は気づくかもしれない。「バーカ」と発した言葉の真の意味に。
入賞
FUNNY DRIVE 中元雄 13’05 広島県福山市
【審査委員長 品評】
スラプスティックを試みようとする意志やよし。ただし、これがいかに難しく、大抵の場合、笑うに笑えない代物が出来てしまうのがオチだ、ということも噛みしめておくべきだ。今どきの女の子四人の仲良しグループの一人がインジェクション仕様のローバーミニの新車を父親に買って貰った。彼女がすぐ済むからと予約した美容室に出かけた隙に、一人が言い出して勝手に車を動かしてしまう。だが、ドライブを堪能する間もなく、若い男と正面衝突してしまった。フロントグラスから何から車は血まみれ。持主の女の子も戻ってきて鉢合わせ。転がっている男のことより、洗車したばかりなのに、と愚痴ることしきり。ほかの女の子の対応もすべてその伝だが、そのうち死体処理に話が及び、トランクに隠して山に埋めに行く方法、ミニ車のトランクが狭いと分かると、遺体を切断してトランクに入れ、再び山に、と想像は繰り返されるのだが、無事し終わった後は、必ず乾杯して「打ち上げ!」となる。この繰り返しで、ドタバタ調を効かせようとする按配。これが今どきの女子の行動パターンとして工夫のあるところなのだろう。やがて、その男が現在進行形の連続女子殺人犯であることがわかり、しかも男は息を吹き返し、とサスペンスも掛かってくるが、やはりドタバタが本領で、この殺人犯が解体用に実際に使っていたチェーンソーを女の子が抱えて男に突進してくるところなど笑える箇所はある。ただし、すべてに渉って底が浅い。やはり、肝腎の今どきの女の子たちに対する、あるいは現代というものに対する批評精神の欠如がその根本をなすのだと思う。批評精神こそが喜劇を生み出すのだから。
離れても離れてもまだ眠ることを知らない 霞翔太 18’57 千葉県香取郡
【審査委員長 品評】
題名といい、冒頭の酒をめぐるタイ国の事情についての語り出しといい、少々勿体ぶっているのが鼻に付いたが、タイ現地でのロケーションが生き生きしていて、しかもヒロインの自然な振る舞いに誘われるように、映画の中に入っていけた。ヒロインは幼児を抱えているが、夫の影さえ見えず、一緒に暮らしていた母もすでに世を去り、貧しい生活を送っている。我が子はまるで子供たちを広間にただ転がして寝かしつけているだけのような預り所に置いて、電車やバスを乗り継ぎ、ようやく辿り着いたある邸宅では、皮肉なことにベビーシッターとして雇われている。ベビーが泣けば、私だって泣きたいわ、と彼女。禁酒という国是の中で、日本人の祖母さんが母に教え、母が作った日本伝統の梅酒がまだ底に残っている壜を一旦は捨てようとしながら、捨てきれない日本人の血をクオーター受け継いだヒロインの祖母に対する思い、母に対する思い、それが、我が子に向かって「ねんねんころりよ、おころりよ」を口ずさむことで確かめられ、さらに坊やという存在が私を母親にする、人生に愛があれば怖いものはないと、宣言する。映画はすべての装飾を剥ぎとって、単純ながら、確かな一人の女を映し出す。
審査員特別賞(主演女優賞)
森川馨華さん「キミの夏、聞いたよ」
入選
美しき思い出 川満佐和子 10’00 埼玉県
【審査委員長 品評】
高校時代、友人の中でも中心人物だった「いーちゃん」が逝ってしまって今はいない。夏の夜の思い出、教室の黒板一杯にお祝いを書いた上で待ち伏せし、入って来た「いーちゃん」にクラッカーを鳴らしつつ、「ハッピーバースデイ」を歌ったあの日、そして一緒にはしゃいだ「いーちゃん」、スマホに遺した映像は今も覗くことはできるけど・・・。大学生になった今も、旧友が集まって「いーちゃん」のお墓参りをする場面もある。そこで、再び「ハッピーバースデイ」が歌われるが、これが適当であるかどうか、作者たちは考えただろうか。おそらく、教室でのあのシーンを喚起したいがためにそうしたのだろうが、ただでさえ、単調なエピソードをより単調化してしまったように思う。また、お墓の前でのバースデイソングというのにも違和感を感じる人もいるかもしれない。そして、校庭に向かって叫ぶ「いーちゃん」についても、後ろ向きのままではなく(今は死者だから後ろ向きのままにしたのだろうか)、生き生きとした「いーちゃん」の表情を映し出してもよかったのではないか。忘れることと思い出せることとの違いについての話を主人公の男友達がする場面があるが、わかったようなわからないような理屈をこねる前に、大学の教室で持ち出される谷川俊太郎の「時」という詩に作者たちは出くわしていたのだから「あなたは二匹の/うずくまる猫を憶えていて/私はすり減った石の/階段を覚えている」に続く二連目の「もう決して戻ってこないという/そのことでその日は永遠へ近づき/それが私たちを傷つける/夢よりももっととらえ難い一日」にあるその日とは、高校時代のあの日々の中で、どんな日でありうるのだろうか。それが仮に「いーちゃん」との思い出であるなら、それはどんな日であったのか。この原点に戻って、作劇を考えるべきではなかったかと思う。
幸せのありか 若菜滋子 11’55 秋田県秋田市
【審査委員長 品評】
女主人公が婚活のために、自分の働いている小さなレストランでマスターの指導のもと心尽くしの料理を作り、お目当ての男性を招いて一気にその胃袋と心を掴んで自分になびかせようというわけだが、今日は来ないはずの彼女の同僚、これが若い男性で実は彼女に好意を寄せているがゆえに、婚活の成り行きが気になってこの場に立ち会うことになる。さて、仕掛けは充分、ドラマはどんな風な振幅を見せるのかと期待したが、どうも作者たちは欲張りではないらしい。実に単純に、まるで「幸せのありか」の含意に取り込まれたかのように、婚活のイケメン男ではなく、同僚のぶきっちょ男に軍配を上げてしまった。しかし、婚活の男を早々と退散させるために(としか思われない)発せられた女主人公のセリフの数々と態度は余りにもえげつなく、婚活の男がタバスコを掛けまくり、しかもほとんど食べ残して去ったスパゲッティを男になり代わって食べ尽くそうとする同僚の涙ぐましい姿を見ていると、おいおい、こんな女にあんた勿体ないよと声を掛けてやりたくなる。いい女であってこその「幸せのありか」ではないか。
しまこと小豆島 香西志帆 18’17 香川県高松市
【審査委員長 品評】
観光映画として、まずはよく出来ているというべきだろう。キャストもその名に応じた役割を果たしているし、観光地としてのポイントもそれなりに押さえてある。だが、ストーリーとなると、余りに通り一遍で、おいおいいつの時代の話なんだよ、と茶々を入れたくもなる。観光映画を撮らせてもらえるなんて大チャンスなんだよ。だったら、自分の持てるものを全部ぶちこむくらいの気持ちでやってほしいね。当然、行き過ぎれば、スポンサーサイドからチェックが入るだろう。時には、危うくくびになりかけることもあるだろう。だが、それを通過して、事を成す時、誰もまだ見たことのない観光映画の地平が拓かれることと思う。その時、すでにして、それはまさに他の何物でもない映画になっているんだ。
笑女クラブ 川崎僚 19’09 大分県大分市
【審査委員長 品評】
美和子はかわい子ちゃんの気のいい優等生だ。誰もがいつも笑顔でいられるような教室を、いや社会を願っているのだろう。だが、今、笑顔は、時として作り出されなければならない。だから、いたずらも必要だ。黒板消しを落す古典的わざも。だから、笑いを作り出すことをモットーに「笑女クラブ」も立ち上げた。その仲間もいる。だが、机のすぐ隣にいる要(かなめ)は眼鏡を掛け勉強一筋のような女の子だが、笑わない。笑った顔を見たこともない。だから、美和子には気になる一番の存在だ。この子を笑わせたい。ここに来て、いよいよ本人に迫るまでになった。ところが、要に言わせれば、なぜ笑わなければいけないの、とこうなる。自分が勇気をもって数学の先生のミスを指摘した時も、いち早く気付いていながらお高くとまって見下すようにしているあんたに無性に腹が立つ。笑ってられりゃしないわよと、取りつく島もない。結局、その後の展開で所詮作為的な笑いの運動体「笑女クラブ」もガタが来て美和子は途方に暮れるが、その代わりに、ある日三角関数の問題で二通りの解き方があるという設問で(黒板の字が見にくいので多分に筆者の推測であるが)先ず、第一の解き方で書き始めた数学の先生のミスを、率先して美和子が指摘し、じゃ、やってみろと黒板の前で問題を解かされる羽目になるのだが、相呼応するように要が黒板のもう一方の側に立ち第二の解き方に取り組む。結局、同じ答えに到り、黒板消しが落ちてきて白墨の粉が花と舞い散るなかで、二人のわだかまりも解け「ダサ!」という要の言葉をきっかけに笑い合うというハッピーエンドが用意されている。ところが、筆者(私)の勘違いなのかどうかわからないのだが、両方の答えは微妙に違っていて、分母が6nと6 と片方にだけ二乗がついている。これはイージーミスなのか、答えが合うはずというのが私のミスなのか分からないのだが、これが、私の見た通りなら、要の正解を見て自分の間違いに気づいた美和子が慌てて自分の答えに二乗を書き足し、これを見て要が笑い出し、二人して大笑いさせるという手の方が、この映画の狙いにはよりハマッていたのでないか。いずれにせよ、数式を持ち出すことでテーマを回りくどく同時にしかつめらしいものにしてしまった。
松本商店街物語 古本恭一 20'00 福岡県
【審査委員長 品評】
商店街活性化の一翼を担う為と云おうか、ある和菓子屋を存続させるために経営に力を注ぐ家族の物語を映画にしているのだが、実は肝腎の三代目を継いだ兄が亡くなってしまったという設定だ。その嫁である義姉が頑張って切り盛りし、大志という青年が手助けをしているのだが、主人公である妹の蛍子は視力を失ったこともあり、傍観者の立場を出ていない。ただ、商店街を演劇活動で活気づけていた亡兄の遺志を継いで、義姉と共に蛍子も、また里帰りしている妊娠中の妹も、現在稽古中の芝居には参加している。出し物は清水邦夫の「楽屋」。稽古場には、亡くなった兄貴の親友で片意地を張る蛍子のことを兄代わりに心配するおかまの豆腐屋や仕事の合間を縫って大志も出入りしている。「私だけがここに残って、新しい生活を始めるんだわ」とか「生きて行かなければ」とか「働かなくっちゃ」とか、チェーホフの「三人姉妹」のセリフが意味ありげに語られはするが、この芝居に参加していることで何かを生み出すわけでもない。ホタルの到来と共に、亡兄が蛍子の枕元に現れて、蛍子の気持ちを動かしたか、自分もこの店を手伝うと決意するのだが、すべては情緒的なシーンによってのみ進行するので、いつの間にか、手伝いの青年大志が蛍子と相思相愛になり、いよいよ店は安泰そうに見えても、ああそうですかと云う他はない。特別の感慨が生じないのである。
真昼の情事 Katsuhide Yamago 15’23 東京都
【審査委員長 品評】
あのような結末が用意されていようとは、思いもしなかった。だらだらと見始め、だらだらと見終わったからである。だから、むろん、褒め言葉ではない。夫の留守を狙った情事に始まり、思いがけず夫の突然の帰還となり、間男はもちろん、女が男の気配を隠そうとしてドタバタを繰り返すあたり、少々飽きが来る。それが、突然の夫の帰宅がリストラによるものだと聞かされた女が情事隠しに躍起になりながらも夫への難詰、それからくる夫婦間の口喧嘩と、ドタバタを単調にさせない工夫は見て取れる。確かに、間男を見つける前に、夫婦間に新たな難問、生活基盤の大問題たる夫の失職を持ち出させたのはアイデアであろう。間男が見つかった後、女は自分の浮気は棚に上げ二人の男を同時に非難して出て行ってしまうと、実はこの男二人出来ていて、してやったりとテーブルの蔭で手を握り合う。二人は知らぬが仏、窓外から、隣の若い男にその現場を盗撮されているというわけだ。だが、所詮、すべては空しい仕掛けだ。赤ん坊を抱えて、この二人の男たちにはどんな成算があったのだろう。本物のパパはどっちか、いずれはDNA検査をしようなどと二人の男は能天気でいるが、私はさらに、この二人のどちらかが主婦の姿になり、赤ん坊にミルクを飲ませ、そして、新しい男の到来を待つ。すなわち、仕掛けでない、本物の新しい男同士の情事の始まりまで見たかった気がする。毒を喰らわば、の精神で、喜劇づくりには取り組んでもらいたい。

 



実行委員会事務局:〒391-8501 長野県茅野市塚原2-6-1 茅野市役所 観光課内 TEL.0266-72-2101 FAX.0266-72-5833